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東京地方裁判所 平成8年(ワ)25022号 判決

原告

藤崎晃

ほか一名

被告

清水十四治

ほか二名

主文

一  被告清水十四治及び被告東水運輸株式会社は、原告藤崎晃に対し、連帯して金六四二万七四八五円及びこれに対する平成六年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告清水十四治及び被告東水運輸株式会社は、原告藤崎喜美子に対し、連帯して金二〇七万八九六五円及びこれに対する平成六年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告安田火災海上保険株式会社は、原告藤崎晃に対し、第一項の判決が確定したことを条件に、金六四二万七四八五円及びこれに対する平成六年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告安田火災海上保険株式会社は、原告藤崎喜美子に対し、第二項の判決が確定したことを条件に、金二〇七万八九六五円及びこれに対する平成六年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

五  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

六  訴訟費用は、五分の一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

七  この判決は、第一項及び第二項について、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告清水十四治(以下「被告清水」という。)及び被告東水運輸株式会社(以下「被告東水運輸」という。)は、原告藤崎晃(以下「原告晃」という。)に対し、連帯して金三八八八万八一六四円及びこれに対する平成六年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告清水及び被告東水運輸は、原告藤崎喜美子(以下「原告喜美子」という。)に対し、連帯して金三九九万八三八六円及びこれに対する平成六年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告安田火災海上保険株式会社(以下「被告安田火災」という。)は、原告晃に対し、第一項の判決が確定したことを条件に、金三八八八万八一六四円及びこれに対する平成六年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告安田火災は、原告喜美子に対し、第二項の判決が確定したことを条件に、金三九九万八三八六円及びこれに対する平成六年九月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、普通貨物自動車が普通貨物自動車に追突した交通事故について、追突された普通貨物自動車を運転していた者及びその同乗者が、追突した普通貨物自動車の運転者に対しては民法七〇九条に基づき、その保有者に対しては自動車損害賠償保障法三条本文に基づき、損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠等を掲げた事実及び責任原因の判断以外は争いがない。)

1  次の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

(一) 発生日時 平成六年九月八日午後〇時二五分ころ

(二) 事故現場 茨城県鹿嶋市浜津賀(市政施行前の鹿島郡大野村浜津賀)三七三番地の六先路上

(三) 加害車両 被告東水運輸が保有し、被告清水が運転していた普通貨物自動車(水戸八八い一三一六)

(四) 被害車両 原告晃が運転し、原告喜美子が助手席に同乗していた普通貨物自動車(水戸四四の三七九〇、原告晃が運転し、原告喜美子が助手席に同乗していたことは、甲一四、一五)

(五) 事故態様 加害車両が被害車両に追突した。

2  責任原因

(一) 事故態様に照らすと、被告清水は、安全運転を怠った過失により本件事故を発生させたということができる。

したがって、民法七〇九条により原告の後記損害を賠償する責任がある。

(二) 被告東水運輸は、加害車両を保有し、自己のために運行の用に供していたから、自賠法三条により原告の後記損害を賠償する責任がある。

3  保険契約

(一) 被告東水は、被告安田火災との間で、本件事故当時、次の保険契約を締結していた(内容については、弁論の全趣旨)。

証券番号 四四七九七四九九五二

被保険自動車 加害車両

保険期間 平成六年六月五日から平成七年六月五日まで

保険金額 車両 二八〇万円

対人 無制限

対物 一〇〇〇万円

搭乗者障害 一〇〇〇万円

(二) 右の保険契約には、被保険者と損害賠償請求権者との間で判決が確定した場合は、損害賠償請求権者に対し、被保険者が損害賠償請求権者に対して負担する損害賠償額を支払う旨が定められている(原告らは、この事実を黙示的に主張し、被告安田火災は明らかに争わないものと認めることができる)。

二  争点

1  原告晃の損害について

(一) 本件事故と相当因果関係のある治療期間及び後遺障害の有無・程度

(二) 損害額

2  原告喜美子の損害について

(一) 本件事故と相当因果関係のある治療期間

(二) 損害額

第三争点に対する判断

一  原告晃の損害について

1  本件事故と相当因果関係のある治療期間及び後遺障害の有無・程度(争点1(一))

(一) 前提となる事実、証拠(甲一四、一五、一七、一八、乙一~五、七、原告晃本人、原告喜美子本人、調査嘱託の結果)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件事故により、被害車両は電信柱、ガードレールに衝突した。原告晃(昭和一六年六月二五日生)は、本件事故後救急車で医療法人晴生会服部病院(以下「服部病院」という。)に搬送された。原告晃は、頸部痛、頭痛、左上肢のしびれを訴えたが、X線検査では異常はなく、投薬を受けていったん帰宅した。ところが、帰宅後、後頸部痛が悪化し、翌日(平成六年九月九日)再び服部病院で診察治療を受け、約一週間の安静加療が必要であるとの診断を受け、そのまま入院した。

原告晃は、入院後、後頸部痛、左こめかみ痛、左背部痛、腰部痛、左大腿部の突っ張り感などを訴えた。ジャクソンテスト及びスパーリングテストはともに陽性であり、頸椎及び腰椎の牽引や硬膜外ブロックによる治療を受けた。左こめかみ痛は、入院後二週間ほど経過したころにはほぼ消失したが、左大腿部の突っ張り感は、左臀部から大腿にかけての疼痛及びしびれになってきた。これらの症状は天候が悪いと強くなるものの、あまり変化はなく、同年一〇月二五日に退院した。

(2) 原告晃は、退院の翌日から服部病院で通院治療を継続したが、平成六年一一月に入ると、左足首の背屈力が低下して垂れ足の症状が現れたので、服部病院の通院を継続するとともに、同病院の河野不二夫医師(以下「河野医師」という。)の紹介により、同年一一月九日から、東京大学医学部附属病院(以下「東大病院」という。)でも診察を受けるようになった。

東大病院では、神経内科及び整形外科で診察及び検査を受けた。その結果、腰部のMRI検査において、椎間板の変性が認められたが、筋力低下を起こすほどのひどいヘルニアではなく、筋電図検査も、ほとんど正常であった。そのため、東大病院神経内科の鷲崎一成医師(以下「鷲崎医師」という。)は、左下肢筋力低下の原因がわからず、原告晃に不眠が認められ、うつ状態であることなどから、平成七年一月一二日から、二、三週間の予定で原告晃を東大病院へ入院させた。

原告晃は、入院後、ミエログラフィーなどさらに詳しい検査を受けた結果、頸椎については、第三頸椎及び第四頸椎、第五頸椎及び第六頸椎の椎間板において、それぞれ軽度の硬膜仙骨の突出、第五頸椎及び第六頸椎の椎間板で硬膜仙骨が変性した棘に圧排されて管腔が狭小化していることが認められたが、下肢について筋萎縮は認められなかった。その結果、先の検査結果と併せて、原告は、変形性頸椎症(第五頸椎、第六頸椎)、変形性腰椎症(第三腰椎ないし第五腰椎)と診断された(これらは、脊椎の退行性変化で、椎体の骨棘形成すなわち骨増殖性の変化をいい、脊椎の老化を意味する。)。しかし、これによると、後頭(頸)部の痛みやしびれは説明できるが、左下肢の症状を完全に説明することは困難であった。

原告晃の垂れ足歩行は、入院時と比較すると軽快してきているようにも見えたが、症状に大きな変化はなく、以後は外来により評価していくことになり、原告晃は、同年二月六日に退院した。

(3) 原告晃は、その後も、服部病院に一か月に二〇日以上の通院をして硬膜外ブロックなどの治療を受けた。東大病院にも一か月に二回程度の通院を続けた。平成七年二月には、頸部痛及び腰痛は軽快してきて、同年三月には、左足の関節可動域もやや改善してきた。しかし、その後、これといった変化はなく、同年八月には、首を後方に向ける際に、痛みのため可動域に制限があった。

なお、東大病院の鷲崎医師は、労働により神経症状が悪化する可能性があるため、同年七月一九日の時点においても、なお、就労はしないのがよいとの意見を有していた。

鷲崎医師は、左下肢の症状は器質的なものとは思えないとの考えを持ち続けながら平成八年三月一八日まで原告晃を診察し(入院前の通院と合わせて合計三七日通院)、リハビリテーション部診療申込書に、ヒステリーによる左下肢麻痺と記載した。そして、その後、平成九年一一月二八日付けで、平成七年二月二八日には、頸部痛、左半身の感覚障害(しびれ感)、左下肢脱力(自動では、背屈、底屈ともに〇度)の自覚症状が残存し、他覚的には、左半身の異常感覚(左下肢表在感覚低下)、左下肢筋力低下(遠位筋の強い左下肢筋力低下)、頸椎の変形が残存したとして、後遺障害診断書を作成した。なお、原告晃には、膝蓋腱反射の左右差(左が弱い)も認められた。

原告晃の服部病院への通院は、概ね毎月二〇日前後の頻度で続き、右の平成八年三月一八日までには合計三一六日に達した。平成八年四月にも、服部病院及び東大病院に通院したが(鷲崎医師は、横浜労災病院へ転出したため、原告晃を診察していない。)、その後は、ほとんど通院しなくなった。

(4) 原告晃は、平成一一年三月においても、左半身の異常は残存している。まず、左後頸部痛が残存し、首を左に回すことができない。左手がしびれて握力が弱い。左下肢は、依然足首を屈曲することができず、しびれもある。装具を装着しなくてもなんとか歩行することはできるが、つまずいて転倒しやすく、物を踏んでも感覚がない。天気の変わり目には、肩から首、腰が痛くて眠れないことがあり、天気がくずれると、右手も多少震えることがある。

原告晃は、製畳業を営んでいるが、右の症状(特に左手のしびれと左足の不自由)により思うように仕事をすることができず、現在は、息子が主に仕事をし、原告晃は、それを監督指導するにとどまっている。

(5) 鷲崎医師は、原告晃の症状について、次のとおりの意見を示している。

原告の症状は、平成七年二月二八日には固定したと判断できる。左下肢の筋力低下については、通院中の経過及び入院中の精査の結果を総合すると、器質的疾患として説明することは困難であり、本件事故によって生じた転換(ある欲求が抑圧された結果生じた無意識的葛藤が、知覚あるいは運動系の身体症状に置き換えられる機制)反応と考えられる。その意味で、リハビリテーション部診療申込書に、ヒステリーによる左下肢麻痺と記載した。詐病と疑われる点はないと考える。また、変形性頸椎症と変形性腰椎症は、本件事故に起因するものではないと考えられるが、完全に事故と無関係とは断定できない。

また、河野医師は、平成七年七月一九日当時において、次のとおりの意見を示していた。

検査結果からすると、原告の頸椎及び腰椎には変形性の所見が認められ、原告は、この時点ではまだ就労は不能である。左下肢の症状は、初診時と比べると進行しており、まだ症状固定とはいえない。

(二) まず、本件事故と相当因果関係のある治療期間について判断する。

原告晃は、平成八年三月一八日に症状が固定したと主張しており、これによれば、ここまでが本件事故と相当因果関係のある治療と主張していると理解することができる。

右の認定事実によれば、原告晃の主訴の内容は、鷲崎医師が、症状固定と診断した平成七年二月二八日からあまり変化はない。しかし、鷲崎医師が症状固定と認めた時期は、あくまで平成九年一一月当時に振り返って診断したものであり、東大病院を退院後一か月と経過していない時点であること、その翌月である三月には、左足の関節可動域がやや改善してきていたこと、服部病院の河野医師は、平成七年七月一九日の時点で、まだ症状固定といえないと診断していたこと、原告晃は、同年八月になって、平成一一年においても残存している首の可動域制限を訴えていること、その後、症状にほとんど変化は認められないことに照らすと、原告晃の症状は、鷲崎医師が固定とした時点では、まだ、若干変動していたといえるが、遅くとも平成七年八月末日には固定したというべきである。

したがって、平成六年九月八日から平成七年八月末日までの治療は、本件事故と相当因果関係がある。

(三) 次に、後遺障害の有無・程度について判断する。

(1) (一)で認定した事実によれば、後頸部や左手のしびれは、外力による器質的変化に基づく症状ではなく、原告晃の頸椎に認められる退行性の変性疾患に基づく症状が発症しているものと認められる。そして、原告晃は、本件事故直後からこれらの症状を訴え続けて治療を継続しており、事故前にこれらの自覚症状が存在していたことは明らかでないので、本件事故を契機として発症したものと一応説明することが可能である。したがって、右の症状は、自賠法施行令二条別表(以下「自賠法別表」という。)の後遺障害等級第一四級一〇号の「局部に神経症状を残すもの」に該当するということができる。また、腰部由来の症状と思われる左下肢の筋力低下や異常感覚は、外力による器質的変化や変性疾患では十分説明することができず、もっぱら、転換反応、ヒステリーに基づく症状が残存して症状が固定したものと理解するのが合理的である(この転換反応が右の頸部由来の症状にも影響していることは考えられる。)。そして、この転換反応による症状は、器質的変化による所見ではないものの、内容は、決して軽微なものではなく、症状の頑固性が認められるから、自賠法別表の後遺障害等級第一二級一二号の「局部に頑固な神経症状を残すもの」に該当するというべきである。

(2) これに対し、原告晃は、残存した症状は、自賠法別表の後遺障害等級第九級一〇号の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当すると主張する。

たしかに、原告晃は、現実にこれまで従事してきた製畳業の作業に従事することが困難になっているようであるが(原告晃本人)、不安定な面を残してはいるものの、装具なしに行動することが可能であるのだから、第九級一〇号の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当するというにはなお足りないというべきである。

(3) このように、交通事故による転換反応、ヒステリーにより症状が継続することは、比較的知られているから、これによる症状も本件事故と相当因果関係があるというべきである(右の程度であれば、通常、予測し得る程度を超えるとはいえない。)。しかし、他方、誰しもが転換反応による症状を発症させるものではなく、やはり、原告晃の性格や転換反応を起こしやすい素因を否定することはできない。そして、原告晃の左下肢の症状が、もっぱら、この転換反応によるものであり、本件事故後二か月ほど経過してこれが顕著になってきたことと、その後の入院及び極めて頻繁な通院、症状固定時までの治療の遷延化との間には密接な関連があるということができるから、原告晃の治療経過及び後遺障害の程度については、性格的及び心因的要因が大きく寄与したといわざるを得ない。

そうすると、これが損害の拡大に寄与した程度を斟酌し、民法七二二条を類推適用して原告に生じた損害から控除するのが相当であり、その割合は五〇パーセントとするのが相当である。

2  損害額(争点1(二))

(一) 治療費等(文書料を含む、請求額二六万三五六〇円) 二五万五〇九〇円

(1) 原告晃は、服部病院に対し、文書料として、二万九八七〇円を支払った(甲二の1~6)。

原告は、服部病院の文書料について、一万三三九〇円を請求するので、同額の限度で文書料を認める。

(2) 原告晃は、東大病院における入院治療費及び通院治療費(文書料を含む)として、二〇万四八九〇円を負担した(甲三の1、四の1、なお、甲四の1によれば、通院治療費は、平成六年一一月八日から平成七年五月八日までの分であるが、原告の請求もこの限度にとどまる。)。

(3) 原告晃は、(財)好仁会薬局湯島店に対し、薬代として、三万六八一〇円を支払った(甲五の2~11)。

(二) マッサージ代(請求額二万〇〇〇〇円) 認められない

原告晃は、平成七年一月三日から同年二月四日までの間に、四回にわたり、マッサージ師によりマッサージを受けたが(甲九の1~4)、これは、医師の指示があったと認めるに足りる証拠はないから、本件事故と相当因果関係は認められない。

(三) 下肢装具代(請求額三万九一九三円) 三万九一九三円

原告晃は、下肢装具代として、三万九一九三円を支払った(甲六)。

(四) 入院雑費(請求額九万四九〇〇円) 九万四九〇〇円

入院雑費としては、一日あたり一三〇〇円の七三日分で九万四九〇〇円を認めるのが相当である。

(五) 通院交通費(請求額一七万九〇〇〇円) 一二万六〇〇〇円

原告は、平成七年五月二二日まで(原告請求分)に合計一四日東大病院に通院するとともに、その間に一回の入退院をし、その通院交通費として一日あたり八四〇〇円(片道について、タクシー六〇〇円と、自宅の最寄りの武井釜から上野までの電車代三六〇〇円の合計額)の合計一二万六〇〇〇円を負担した(甲七〔一部〕、乙四、なお、甲七には、原告晃が東大病院に通院しなかった平成六年一一月八日、同月二四日、同月二九日が記載されたり、入院期間中の交通費や退院時なのに東大病院へ行った際の交通費が記載されていて、その内容の全てはただちに採用しがたいので、武井釜から上野までの電車代の合計額と、片道の最低タクシー料金が六〇〇円であることの限度で採用した。)。

(六) 付添看護料(請求額二〇万〇〇〇〇円) 認められない

原告晃は、東大病院入院中の付添看護料を請求するが、その間、付添看護の必要性があったと認めるに足りる証拠はなく、かえって、その必要がなかったことをうかがわせる証拠(原告喜美子本人)がある。

したがって、付添看護料は認められない。

(七) 通院付添及び付添看護のための交通費(請求額一八万六八五〇円) 一二万九六〇〇円

自宅(茨城県鹿嶋市、甲一、弁論の全趣旨)から東大附属病院(東京都文京区、甲四の1)までは比較的遠く、当時の原告晃の症状からすると、家族一人の通院付添はやむを得ないというべきである。他方、付添看護の必要性が認められないのであるから、そのための交通費は認められない。もっとも、ある程度の頻度で見舞いに行くことは本件事故と相当因果関係があるというべきであるから、一週間に一回で合計四回の見舞いの限度で交通費を認めるのが相当である。

したがって、往復の電車代七二〇〇円を基礎にして、原告が請求する平成七年五月二二日まで合計一八回(通院一四回、入院中四回)分の一二万九六〇〇円の限度で通院付添及び付添看護のための交通費を認める。

(八) 休業損害(請求額六〇五万四四〇〇円) 二九五万二〇五七円

(1) 原告晃は、製畳業としての収入(平成五年度は二五八万六一五八円)のほかに、農業で野菜等を栽培し、食肉の店頭販売をして収入を得ており、合計で少なくとも平成5年賃金センサス産業計全労働者の五〇歳から五四歳の平均賃金である年間六〇五万四四〇〇円を下らない収入を得ていたと主張する。

そこで、判断するに、まず、証拠(甲一九、二〇、原告晃本人、原告喜美子本人)によれば、本件事故以前の原告晃の所得金額は、平成二年分が二〇四万九七七九円(専従者給与九六万円を控除した残額)、平成三年分が二二六万八五五八円(専従者給与九六万円を控除した残額)であったこと、原告晃は、製畳業と農業を行い、原告喜美子が農業と肉屋をしていたこと、農業に関しては、田と畑で米や作物を作っているが、収穫物は、製畳業の取引先の工務店などに贈与するほかはほとんど自宅で消費していること、肉屋は、藤崎肉店の商号で営業していたが、従業員はおらず、原告喜美子一人で営業していたこと、小学校及び幼稚園の各一校に給食用の肉を納入していたことが認められる。

この認定事実によれば、原告晃の本件事故当時の収入は、少なくとも、平成二年の専従者給与九六万円の控除前の収入である年間三〇〇万九七七九円を下らない収入を得ていたと認めるのが相当である。

もっとも、原告晃は、本件事故の前年には、二五八万六一五八円の収入(専従者給与控除後のものであると思われる。)を得ていたと主張しており、これを前提とする限り、専従者給与控除前の収入は右に認定したよりも高額になると推測できる。しかし、原告晃は、平成五年の確定申告書を自宅に保有しながら(原告喜美子本人)、これを提出せず、本件事故前の分に関しては、平成二年分と平成三年分を提出するにとどまるから(甲一九、二〇)、本件事故当時は、せいぜい、これの低い方の金額と同額程度の収入に止まっていたと認めるのが相当であり、これ以上の収入を得ていたと認めるには足りないというべきである。

他方、原告喜美子は、右の各申告額には、わずかではあるが、農業や、原告喜美子が行っていた肉屋の収入分も含まれているかのような供述もするが(原告喜美子本人)、あいまいであり、仮に、含まれているとしても、先の認定事実からすれば、取るに足らない程度のものといえるから、本件事故当時の収入を右のとおり認定することの妨げにはならないというべきである。

(2) 原告晃は、本件事故から三年半ほどは製畳業を中断していたもので(原告晃本人)、この事実に、1(一)で認定した原告晃の症状の経過、入院日数及び通院頻度を併せて考えると、原告晃は、平成六年九月八日(事故発生日)から平成七年八月末日(症状固定日)までの三五八日間は一〇〇パーセント休業の必要性があったというべきである。

したがって、(1)で認定した基礎収入を前提に、この期間の休業損害を算定すると、二九五万二〇五七円(一円未満切り捨て)となる。

3,009,779×358/365=2,952,057

(九) 逸失利益(請求額一九九〇万六二六一円) 三九五万八一三〇円

1(三)で認定した後遺障害の内容及び程度(一二級としては比較的重いというべきである。)に照らすと、原告は、症状固定時(五四歳)から六七歳まで一三年間にわたり、一四パーセントの労働能力を喪失したと判断するのが相当である。したがって、本件事故当時の収入を基礎収入とし、ライプニッツ係数(九・三九三五)により年五分の割合による中間利息を控除して、原告晃の逸失利益の現価を算出すると、三九五万八一三〇円(一円未満切り捨て)となる。

3,009,779×0.14×9.3935=3,958,130

(一〇) 慰謝料(請求額八四五万〇〇〇〇円) 四一〇万〇〇〇〇円

原告晃の負傷内容、入通院の経過、症状固定後に残存した症状及びその原因など一切の事情を総合すると、原告晃の慰謝料としては、四一〇万円を相当と認める。

(一一) 寄与度減額(五〇パーセント)

(一)ないし(一〇)の合計総額一一六五万四九七〇円から、原告晃の性格的及び心因的要因が寄与した割合である五〇パーセントに相当する金額を控除すると、五八二万七四八五円となる。

(一二) 弁護士費用(請求額三五〇万円) 六〇万〇〇〇〇円

審理の経過及び認容額などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、六〇万円を相当と認める。

二  原告喜美子の損害

1  本件事故と相当因果関係のある治療期間(争点2(一))

(一) 前提となる事実及び証拠(甲一六〔一部〕、乙六、原告喜美子本人〔一部〕)によれば、次の事実が認められる。

原告喜美子(昭和一七年七月二五日生)は、本件事故直後、原告晃と一緒に服部病院に搬送されたが、その日は診察を受けなかった。翌日である平成六年九月九日、頸部痛が生じて服部病院で診察治療を受け、頸椎挫傷で一週間の安静加療が必要である旨の診断を受けた。原告喜美子は、その後、ホットパック、頸椎牽引及び肩こり体操など理学療法による治療を続けた結果、同年一〇月二五日に、医師から、受傷後三か月で治療を終了する旨の説明を受けた。その後も、同様の治療を続けたところ、同年一二月三〇日には症状は安定してきて、平成七年二月二三日にはおおむね症状は収まった(ここまで、平成六年九月に七日、同年一〇月に二二日、同年一一月に一六日、同年一二月に一五日、平成七年一月に一五日、同年二月に一四日の合計八九日間通院した。)。また、このころ、変形性膝関節症により、装具の装着もした。

ところが、原告喜美子は、その後も、同様の頻度で介達牽引による治療を続け、その間、同年六月一九日からは右肩痛も訴えるようになり、五十肩体操も行うようになった。原告喜美子は、後頸部痛も依然訴えたが、右肩の痛みや屈曲制限の訴えも多くなり、これに関するリハビリ治療も受けながら、平成八年三月一六日まで合計二九二日服部病院に通院した。

以上の事実が認められ、甲一六及び原告喜美子本人の供述中右認定に反する部分は、前掲採用の証拠に照らしてたやすく採用できない。

(二) この認定事実によれば、原告喜美子の症状は、当初の診断内容や、当初から理学療法による治療が継続してなされていることからして、いわゆるむちうち症状であると考えられる。この種の症状に関する治療が長引くことは珍しくはないにしても、原告喜美子のそれがいささか長すぎることは否定できない。そして、平成六年末ころには症状は安定してきていたこと、平成七年二月二三日にはおおむね症状は収まっていたこと、その後は、五十肩の症状も現れて、これによる治療も必要となっていたことを併せて考えると、本件事故と相当因果関係のある治療期間は、せいぜい平成六年九月九日から平成七年二月二三日までの一六九日間であると認めるのが相当である。

2  損害額(争点2(二))

(一) 治療費等(文書料を含む、請求額二四万八一四五円) 九万九二五三円

原告は、平成六年一二月一日から平成七年六月三〇日までの服部病院での治療費二二万四四一五円と、文書料二万三七三〇円を負担したと主張する。

証拠(甲二の7、8、一二)によれば、平成六年一二月一日から平成七年六月三〇日まで実日数にして一一五日間の服部病院での治療費として二二万四四一五円、文書料として一万三三九〇円を負担したことが認められる。

このうち、本件事故と相当因果関係のある治療費は、平成七年二月二三日までの分であるが、そこまでの具体的治療費は明らかでないので、平成六年一二月一日から平成七年二月二三日までの実日数分(四四日、甲一二)で日割りした額である八万五八六三円(一円未満切り捨て)の限度で認める。

(二) 通院交通費(請求額二四万三二〇〇円) 一三万五二八〇円

原告喜美子は、服部病院への通院に際し、往復一五二〇円のバス代を要した(甲一三)。原告喜美子は、平成六年九月九日から平成七年二月二三日まで合計八九日通院したから、この間の通院交通費としては、一五二〇円の八九日分で一三万五二八〇円を認める。

(三) 休業損害(請求額一八三万七〇四一円) 八四万四四三二円

証拠(甲一六、原告喜美子本人)によれば、原告喜美子は、農業や肉屋のほかに主婦業もしていたこと、本件事故直後は家事をすることもできず、息子と娘がそれをしていたこと、平成六年一〇月末日ころから家事をすることができるようになったこと、服部病院での治療は三〇分くらいであったが、待ち時間も含めれば、混雑しているときは、午前中いっぱいかかることもあったことが認められる。

この認定事実及び二1(一)で認定した事実によれば、原告喜美子の労働は、平成六年賃金センサス女子労働者学歴計の全年齢平均である年間三二四万四四〇〇円に相当し、本件事故当日である平成六年九月八日から同年一〇月末日までの五四日間は一〇〇パーセント、その後、平成七年二月二三日までの一一五日間のうち、実通院日数である六〇日間は五〇パーセント、その余の五五日間は二〇パーセントの限度で労働能力の制限を受けたとするのが相当である。

したがって、これを前提に休業損害を算定すると、八四万四四三二円(一円未満切り捨て)となる。

3,244,400×(54+60×0.5+55×0.2)/365=844,432

(四) 慰謝料(請求額一三一万円) 八〇万〇〇〇〇円

原告喜美子の負傷内容、通院の経過など一切の事情を総合すると、原告喜美子の慰謝料としては、八〇万円を相当と認める。

(五) 弁護士費用(請求額三六万〇〇〇〇円) 二〇万〇〇〇〇円

審理の経過、認容額などの事情に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用としては、二〇万円を相当と認める。

第四結論

以上によれば、原告らの請求は、損害賠償金として、原告晃において六四二万七四八五円、原告喜美子において二〇七万八九六五円と、これらに対する平成六年九月八日(不法行為の日)から、いずれも支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

(裁判官 山崎秀尚)

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